<昨日の続き>
管理費と修繕積立金の合計は毎月36,000円
私の運用実績のグラフを再掲します。運用益について、昨日は港区白金のマンションにしましたが、ほぼ同じ金額で渋谷区富ヶ谷が販売中ですので、今日はこちらを例示しました。渋谷区富ヶ谷は代々木公園と駒場東大前の中間で、JR渋谷駅まで歩いて20分弱です。管理費と修繕積立金の合計は毎月36,000円程度です。1戸建てでも10年か15年に1回は修繕が必要ですから、この金額はマンションだから高いというわけではなさそうです。
為替レートの推移
それにしても、評価益が大きく伸びていて、その理由の一つがドルに対して円が安くなっていることがあげられます。そこで、昨日に続き、ドル円の推移とその原因を勉強しています。下の図は、円とドルの為替レートの推移グラフです。
昨日はニクソン・ショックでしたので、今日はプラザ合意からです。
プラザ合意
1985年9月22日、過度なドル高の是正のために米国の呼びかけで、米国ニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催されました。
参加各国の通貨を一律10~12%幅切り上げ
この会議でドル高是正に向けたG5各国の協調行動への合意、いわゆる「プラザ合意」が発表されました。具体的な内容として「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、そのための方法として参加各国は外国為替市場で協調介入をおこなう」というものでした。プラザ合意の狙いは、ドル安によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことにありました。
過度の貸出による過剰流動性
一方、日本ではドル高の修正により急速に円高が進行し、輸出が減少したため、国内景気は低迷することとなりました。1987年2月に開催されたG7(G5+加、伊)は、過度なドル安の進行を防止するべく、パリでルーブル合意を成立させました。ルーブル合意以降、為替相場は総じて安定することとなったものの、円高不況に対する懸念から、日本銀行は低金利政策を継続し、そして企業が円高メリットを享受し始めたこともあり、国内景気は回復に転じました。しかしその後、低金利局面と金融機関による過度の貸出が過剰流動性を招き、不動産・株式などの資産価格が高騰し、いわゆるバブル景気が起こることとなりました。
バブル経済とその崩壊
不動産や株式などの資産価格が実体経済とかけ離れて高騰すること。価格上昇の根拠が乏しく、下落基調に転じると過熱状態が一気にしぼんで持続性に欠けることから、泡(バブル)になぞらえられます。日本では1980年代から低金利を背景に地価が高騰し、株価も急伸しました。90年3月の大蔵省(当時)通達で不動産向け融資を抑制する総量規制を導入したことを契機に、資産価格は急落し、バブルは崩壊。後に「失われた10年」と呼ばれる長期不況に突入しました。
アジア通貨危機
1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象で、東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼしました。
1997年5月中旬、ヘッジファンド等の機関投資家によるタイ・バーツの大量の空売りを受け、タイ中央銀行はドルペッグ制の維持(バーツ防衛)のためバーツ買いの為替介入を実施します。しかし外貨準備のドルが枯渇し、7月2日、ドルペッグ制から変動相場制(管理フロート制)への移行を強いられた結果、バーツは対ドル相場で急落してしまいます。
バーツが一斉に売られたのは、米国のドル高政策に連動してバーツも高くなり(ドルペッグ制のため)、タイの輸出が伸び悩み始めてもさらにバーツ高が進行したことに対して、投資家から過大評価ではないかと疑われたためです。
通貨の急落は、同じくドルペッグ制を採用していたマレーシアやインドネシア、韓国にも波及しました。タイ、インドネシア、韓国はIMF(国際通貨基金)や世界銀行、アジア開発銀行等の支援を受けることになります。支援の条件としてIMFが課した緊縮財政や高金利政策の結果、これらの国々はマイナス成長に陥り、タイとインドネシアでは政権交代に至りました。IMFによる改革案の妥当性は疑問視されたものの、これらの国々において低インフレによる純輸出の拡大等により、1999年にプラス成長を回復しました。
危機後、アジアでは再発防止のための地域金融協力の動きが活発化しました。
同時多発テロ
事件直後は円高に振れたものの、大きな転換にはなりませんでした。
リーマンショック
為替相場は基本的に円高が広がりました。たとえば、リーマン破綻の前に1米ドル=100円以上で推移していた米ドル/円は、「リーマン・ショック」の中で90円も割り込み、さらに2011年にかけては80円も割れて75円まで米ドル安・円高となったのです。
円高となった最大の要因は、世界経済の危機から脱出するために、米国が行った大規模な金融緩和だったと考えられています。これによって米国の通貨である米ドルが大量に供給された結果、一種の米ドル「カネ余り」のようになり、大規模な米ドル売りが発生しました。
アベノミクス
アベノミクスの実態は大胆な金融政策であり、その結果円安が続きました。円安の影響で一人当たりGDPは劣位になり、他国民と比べて年収も減りました。さらに、円安のもたらしたものは、産業競争力の弱化かもしれないと考えると、アベノミクスは日本にとって不幸だった可能性があります。そして、出口の見えない国債が膨れ上がった責任を取るのは、安倍元首相や黒田日銀総裁ではなく、将来の日本人ではないかと思います。