国際金融アナリストの豊島逸夫氏は繰り返し円を保有することに対して警鐘を鳴らしています。
最近も日経デジタル版に記事が掲載されました。
最高値でも金買いに走る日銀OBたち
豊島逸夫の金のつぶやき
2025年3月14日
これは実話である。
筆者には財務省・日銀OBの友人が多い。例えば、かつて日経新聞「交遊抄」に出たとき、実名入りで義兄が財務省(当時大蔵省)勤めであることを明かした。この友人グループがまだ若かりし頃、筆者の結婚式の一切を仕切ってくれた。
財務省・日銀OBの友人たちも、団塊の世代で年をとった。多くは天下り職も退官した。高齢の一投資家となった。そこで、昔のよしみとばかり、筆者にアドバイスを求めてくる。退官して10年以上もたてば、市井の民なのだ。
そのなかで、「金(ゴールド)投資」に強い関心を示すのが知り合いの日銀OBのグループだ。すでに金購入を決めているので、質問は具体的で「いつ、どこで買えばよいか」。
筆者が「こんな高値の金に、なぜ興味を持つのか」を問うと「量的緩和政策に直接関与してきた。円はいくらでも刷れることを職場で実感してきたので、なにか刷れない資産を模索して通貨の原点である金に回帰した」と語る。「虎の子の退職金を円では持ちたくない」とまで言い切る。通貨の番人を40年務めあげた人物のコメントゆえ、筆者の背筋がヒンヤリする。
財務省OBの知り合いも、退官後、金を買いたがる傾向がある。
キャリア組として中核にいた人物が「日本はいつかジンバブエになる」と真顔で語る。トンデモ本に感化されたわけでもない。「自分は日本国のバランスシートを作成してきた。退職金を円で保有するリスクを痛感している」と平然と語る。
「有事の金」「金価格の最高値更新」のニュースは、この親友たちのハートをわしづかみにしたようだ。筆者は、資産運用の主役は株式、金は脇役、有事の金のドカ買いは悪魔の選択、と冷ややかに諭す。
なんとも考えさせられる現象である。
これとは異次元だが、似たようなエピソードが米国にもある。
グリーンスパン元米連邦準備理事会(FRB)議長が、退官後、講演料が当時で10万ドル近くに跳ね上がった。あるヘッジファンドの国際会議で講演したとき、事務局が「先生、講演料ですが、どの通貨で送金しましょうか。ドル、ユーロ、円、どの通貨でも結構ですが」と持ち掛けると、一言「ゴールド」と言ったという。某著名キャスターが番組で紹介した話である。
金の世界では「量的緩和による通貨価値の希薄化」が買われる理由の一つとされるが、グリーンスパン氏は、すでにその結末を懸念していたわけだ。
今や、米国では量的引き締めの是非が議論される段階だが、いまだに巨額のマネーがFRBのバランスシート上に量的緩和の置き土産として残っている。それに加えて、世界の中央銀行が外貨準備として毎年金の公的購入に動き、その量たるや、金の年間生産量の3分の1近くに達する。現役の中央銀行マンも、老後は金買いに走るのだろうか。
「インフレ課税」で家計は大損するという根拠
日本政府の膨大な借金は、相対的に軽くなる:東洋経済オンライン
熊野 英生 : 第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト
2023/09/12
家計を切り崩して政府の借金を支払う
隠れた日本の債務削減作用として、インフレ効果がある。物価が2倍になれば、過去の債務価値は半分に減る。これは、物価が2倍になって、税収も2倍になるという関係があるから、債務返済能力が高まって、債務の実質価値が半分になるという解釈もできる。
政府は、さすがにインフレ調整を前面に出すことはできないので、経済規模(名目GDP)を尺度にして、政府債務が先々は相対的に小さくなるという見通しを発表している。2023年1月の「中長期の経済財政に関する試算」(成長実現ケース)では、2022年度の公債等残高の対名目GDP比が217.0%と過去最高になった後、10年後の2032年度は171.7%まで下がる見通しになっている。名目GDPが1.36倍に増える効果を見ているのである(この間、一般会計の税収も1.36倍)。
注意したいのは、政府債務残高が軽くなるとき、同時に家計金融資産残高も軽くなることだ。日本全体のバランスシートでは、資産と負債は裏腹の関係でつながっている。家計が金融資産を取り崩して納税すると、その税収の一部が政府債務の返済に回って、政府債務残高を減らす。反対に、政府が低所得者向けの給付金を3兆円ほど支給すると、家計金融資産残高は3兆円増える。
もう一方で、給付金を全額国債発行で賄うと、政府債務残高は3兆円増える。政府債務の増減と、民間部門の資産増減はパラレルに動く。同様に、実質価値で見たときは、政府債務残高が2%ほどインフレで減るとき、家計金融資産も2%ほど減ってしまう。こうした国民資産の価値の減少は、増税と同じ効果を持つので、「インフレ課税(Inflation Tax)」と呼ばれる。
このインフレ課税は、債務者には有利である反面、債権者には不利に働く。長期貸付をしている人には特に不利である。そのため、債権者は貸付金にしかるべき金利を適用し、それも期間が長くなるほど高い金利を上乗せしている(期間プレミアム)。
債権者にとって「不利」
国債利回りは、もともとインフレ見通しを織り込む仕組みである。長期国債が10年後に償還されるときの額面+クーポンの金額が、インフレ分を調整して、その時点でどのくらいの価値になるかを計算して、流通価格を決めて取引している。流通価格=割引現在価値になる。
もっとも、日本の場合は、日銀が国債市場に介入して、流通価格が下がりにくいように、高値で買いまくるオペレーションをすることで、需給コントロールを極端に強めてきた。その結果、長期金利は極端に低下している(流通価格は高値維持)。
この傾向は、2016年9月にイールドカーブ・コントロール(YCC)という仕掛けを作って、10年金利の基準を0%にすることで極まった感がある。つまり、将来のインフレリスクに見合う分を、債権者は受け取れない状態なのである。
反面、日本の投資家は、インフレ課税のリスクに対して、極めて脆弱になってしまっている。超低金利が当たり前という感覚が浸透して、不意打ちのようなインフレに遭遇しても、投資家たちは機敏に動けない。
こうしたインフレ課税には、日銀の金融政策が極めて深く関与している。超低金利によって内外金利差が拡大することが一層の円安を促す。円安が加速するから輸入物価が上がって、消費者物価も上昇する。それでも超低金利を修正しないので、円資産の減価が進んでしまう。
黒田前総裁は、インフレ課税によって政府債務残高が減価することを知らなかったわけがない。今にして思えば、黒田前総裁は、2022年に消費者物価が上昇し始めてから、「物価上昇は一時的」とか、「賃金が上昇していないので、自分が思っている物価上昇ではない」と言って、利上げ観測を全面的に否定してきた。もしかすると、そうした態度の裏には、インフレ課税を通じて政府債務残高を減価させることを暗に見過ごしていたのではないかと疑ってしまう。
もしも、日本政府自身が、増税や大胆な歳出カットを行って政府債務を減らしにかかったとしたら、その痛みが批判の的となっただろう。政治的反発や国民からの不満も高まったであろう。
それに比べると、インフレ課税は、秘かに円資産の価値を減価することができる。政府債務残高も、気づかれないうちに重さが軽くなっていく。国民は、自分たちの円資産の購買力が徐々に消えてしまうことに意識を向けにくい。
しかも、円資産を持っている限りは、国民が逃れることが最も難しいかたちの課税方式である。債務者は秘かに得をして、債権者は何も動けないままに損失を被ってしまう。財布の現金や、預金通帳の数字に何も変化が起こらないのに、こっそりと購買力を失っていくのがインフレ課税の怖さだ。
ケインズが説いた、インフレ作用と財政問題の深い洞察
こうした効果について、詳細に過去の分析を進めたのは、20世紀の偉大な経済学者ジョン・M・ケインズ(1883~1946)である。1923年に出版された『貨幣改革論』では、インフレ作用と財政問題について深い洞察が示されている。正直に告白すると、筆者はケインズのアイデアを下敷きにして、本書を書いている。ちょうど100年前の巨人の肩の上に乗って、インフレの影響について見通すことができるのだ。
ケインズが指摘しているのは、インフレが富の分配を変えてしまうことである。新しく価値を創出できる企業家(実業階級)はインフレの中で得する機会を得る。反対に、貯蓄者(投資階級)は過去の所得から蓄積された富をインフレで失う。これは、債務者が得をして、債権者が損をするのと同じ意味である。
さらに、ケインズの著作は、もっと建設的に私たちが何をすればよいかを教えてくれる。
インフレ課税から逃れるには、たとえ借金をしてでも積極的に投資をして、新しい価値を創出することが重要だという教訓を示している。
達観してみると、過去二十数年間にわたって苦しんだ日本経済は、デフレによって債権者が得をして、債務者は債務価値を膨らませて苦しんだと言える。そして、輸出企業は先行投資を行いにくくなって、国際競争力を低下させた。
1990年代後半から2000年代にかけて、それまで高い国際競争力を誇っていた半導体産業は、大規模な設備投資を行いながら、集積度合いを高めていく競争についていけなくなった。
他方、同じく90年代後半に通貨危機に見舞われた韓国の半導体産業は、すぐに立ち直り、大規模な設備投資を繰り返して、日本企業を抜き去っていった。韓国はデフレに陥らずに、インフレ調整の力を借りて、企業が積極的な設備投資を行うことができたという見方が成り立つ。
政府債務に関するケインズの恐ろしい予言
ケインズは、資本主義の原動力は投資をするときのアニマル・スピリットだと喝破する。収益機会を追求する動物的な心的衝動が、企業家を突き動かすと『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)で語っている。
話を現実の日本に戻すと、日本の財政はどのくらいインフレ課税の作用を見込んでいるのか。内閣府「中長期の経済財政に関する試算」(2023年1月)では、2022~2032年度まで11年間でマイナス19.8%の調整幅であった。この見通しは毎年消費者物価が前年比2%で上昇する見通しに近いものだ。
その一方で、短期金利はほとんど上がらないだろう。つまり、預金金利はほぼ現状維持になり、家計はインフレ課税の犠牲者であり続けると言える。ケインズの言う貯蓄者(投資階級)とは、日本の家計にそのまま当てはまる。
ケインズは、『貨幣改革論』以外の著作でも、金利生活者を敵視しており、インフレの犠牲者だという同情心はない。筆者は、むしろ、インフレ課税の犠牲者である家計は、積極的に資産防衛をしなければ、インフレのえじきになると警鐘を鳴らしたい。