日本における金の歴史のエピソード

金価格高騰の背景

国際金価格は2000ドルまで上昇した後、1800ドル台まで下がって来ました。最近、中国、ロシアなどが金の購入量を増やし、今年に入って新型コロナウイルス対応のための金融緩和で、各国通貨の価値が信用されなくなってきたため、金買いの勢いが増しています。それに加えて、ウォーレン・バフェットが金鉱山会社の株式を購入したとこで、金投資が注目されるようになりました。

一時的ピークは過ぎた?

しかし各種週刊誌が金の特集をし始めたので、すでにピークは過ぎたのかも知れません。靴磨きの少年が株式を買い始めたら、バブル崩壊直前というのと似ているようです。ただし、一旦落ち着いた後は、再び上昇に転じるかも知れません。

限りのある金

金の鉱脈はほぼ開発されつくして、今後は海底にある金を採掘する時代になるそうです。

雑学としての金の話

日本における金にまつわるエピソード、歴史を書き出してみましょう。金投資には役に立ちませんが、雑学や主席での話題提供にはなるかもしれません。

灰吹法(はいふきほう)

古くから行われていた金,銀の製錬法の一種です。パークス法で得られる金銀亜鉛に2~3%の木炭を加え、蒸留して亜鉛を回収すると、後に金銀4~5%を含む鉛が得られる (これを貴鉛という) 。これを 900~1000℃に予熱した灰吹炉という特殊な炉に装入し,強く空気を吹きつけると鉛その他の卑金属は酸化されて鉱滓化し,品位 99%程度の粗金銀塊を得ました。灰吹法は8世紀アラビアの錬金術師 I.H.ジャビルの発明といわれ,日本には 16世紀に,南蛮人の白水が大坂商人住友寿斎に伝え,銅から金銀が吹分けられるようになり,住友家は四阪島銅山の開発とともにこれによって巨富を築いたと伝えられています。

金山での作業 灰吹|甲斐黄金村・湯之奥金山博物館|山梨県身延町

佐渡金山

佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。
1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。
1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました。

1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました。
その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました。
平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。

佐渡金山の金鉱脈は、東西3,000m、南北600m、深さ800mに広がっていました。
この金脈を追い求めて、江戸から平成まで388年間に産出した金は78トン、銀2,330トンにのぼり、まさに日本最大の金銀山でした。
開削された坑道は、まるでアリの巣のように拡がり、総延長は何と約400km(佐渡~東京間)に達しています。

日米修好通商条約

当時の日本の最優先課題は「幕末も黄金の国ジパング」だった大量の小判の海外流失で、批准する日米修好通商条約第5条に、その原因が明記されているのです。

日米修好通商条約第5条:外国の諸貨幣は、日本貨幣同種類の同量を以て通用すべし。
この「貨幣同種類、同量」という一見常識的な基準により、以下の取引が発生してしまったのです。

外国人が銀貨メキシコ・ドル4個を両替所に持って来ると、日本の銀貨一分銀12個と交換できます。そして、この12個を小判(金貨)に替えると3個の小判がもらえます。さらにこの3個の小判をドルと交換すると12個のドル金貨がもらえます。
すなわち、銀貨メキシコ・ドル4個が12個のドル金貨に化けるのです(不労収入が3倍になります)。ドル金貨に替えることができるのは日本国外ですから、どんどん小判が海外へ流出していくのです。

日本側として第5条は批准(確認して同意)するには抵抗があるはずです。しかし、遣米使節団は批准したのです。

批准した22日後、遣米使節団はフィラデルフィアの造幣局を訪問し、ここで小栗忠順が、互いの貨幣を溶解して金・銀・銅を定量分析するべきと主張・論破し分析できたのですが、批准した後ですから、何を言っても後の祭りになりますが、小栗忠順は何を明らかにしたかったのでしょうか。

分析結果を見ると、「1枚の小判は金貨3ドル57セントに相当する」ことが明確になりました。

金解禁

金解禁、金輸出解禁とは、金貨及び金地金の輸出許可制を廃止して金本位制に復帰すること、あるいは、通貨の発行国が、本位貨幣に戻ることです。

日本においては、1930年(昭和5年)に濱口内閣によって行われた金解禁を指し、それに加えて翌年の犬養内閣による金輸出(再)禁止に至る一連の経済政策をまとめて指すこともあります。日本においては新貨条例制定前から、伊藤博文や吉田清成といった金本位制を主張する勢力がくすぶっていました。当時のお雇い外国人や今日の研究は、世界的潮流であった銀本位制の方がイギリスほど豊かでなかった国情に相応しかったと考えています。

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