日本への影響
トンガ諸島にある海底火山で2022年1月15日に発生した爆発的な噴火は、噴煙が成層圏にまで達し、遠く離れた日本にも津波(?)の影響が出ました。
ピナツボ山
この影響について、1991年に噴火した時のピナツボ山の火山を思い浮かべる人が多いと思いますが、その当時の①夕焼け(朝焼け)、②米作と経済、について書きます。
素晴らしい夕焼け、朝焼け
①については、都内でも、夕焼けにグラデーションがかかり、言葉で言い表せないほどの美しさでした。このような夕焼けは2年ほど続いたと記憶しています。ネットに載っている当時の写真を集めてみました。
「撮影日:1992年8月28日(28h15m 露出5min)
撮影地:乗鞍大黒岳
1991年6月15日、フィリピンのピナツボ火山噴火で噴煙高度が30kmを超し、噴煙由来のエアロゾル(主成分は硫酸エアロゾル)は、約6ヶ月で全地球規模(成層圏領域)に拡散しています。
この成層圏で拡散した噴火由来のエアロゾルにより、朝焼け・夕焼けが、異常に赤かったり、藤色になったりする現象が1993年まで継続しました(このメカニズムは、エアロゾルで短波長の青色が反射拡散することで、長波長の赤色が誇張されているためです)。」
以下は広島県太田川周辺で撮影された写真のようです。
「1991年にフィリピンのピナツボ火山が大噴火。
その翌年ぐらい当時の住まいからの撮影だと思う。この大噴火の噴煙などが成層圏まで達したことにより、大気中の見えない塵などの乱反射?詳しいことは分からないのですが、とにかく「朝焼け・夕焼け」がすごく奇麗に焼けていたのを覚えています。
朝起きて、まず東の空を見て日の出前の山をシルエットに空が真っ赤に染まるのに感動して、すぐさま自転車に乗って太田川の河川敷まで撮影に出かけてました。」
次に②米作と経済について、ピナツボ山噴火の影響を確認します。
1993年の大冷夏 一80年ぶりの大凶作一
近 藤 純 正
東北地方の1993年夏は1913(大正2)年以来の80年ぶりの大冷夏であった.これは1991年6月のピナツボ火山の噴火と関係があると思われる.最近158年間の大規模火山噴火と冷夏,米の収量との関連から,概略50年ごとに起こる冷夏大凶作の頻発時代の存在を示した.
1991年6月15日,フィリピンのピナツボ火山が大噴火した.火山噴出物の総量は2㎢で今世紀最大,噴煙は高度17~26kmの成層圏まで達し,東風に乗って西に流れ,1か月後には北緯25度から南緯15度帯まで広がったといわれている.これは,前世紀の1883年8月26日に起こったインドネシアのクラカトア噴火のときに似ている.そのときの噴煙は噴火3か月後には低・中緯度の大部分を覆い,2~3年後まで大気中に滞留した.噴火後の東北地方の冷夏はクラカトア火山噴火となんらかの関連があると考えた.
そのため,今回のピナツボ噴火後の1992~1993年には冷夏発生の可能性があることを指摘してきた.1992年は弱い冷夏であったが,噴火2年後の1993年は大冷夏凶作となった.
最近のコメ需給の状況を見てみましょう。
2022年見込みは、適正な在庫水準を少し上回る程度です。また、現在は1993年当時より少し温暖化が進んでいますので、冷夏の影響も多少弱まるかもしれません。また、本格的な稲作が始まるまでにわずかながら時間がありますから、農家、農水省、農協などが今年の作付面積の再検討を始めているでしょう。
ピナツトゥボ山噴火の社会・経済への影響
ピナトゥボ山の噴火は周辺地域の経済発展を著しく阻害した。広範に損害を受けた建物とインフラの復旧には数十億ペソの費用がかかり、噴火後の火山泥流を制御するための堤防やダムの建設にさらなる経費がかかった。防災工事の一部は日本政府からの援助で行われている。
総計で364ものコミュニティの2100万人が、噴火の影響で生活基盤と家屋を損傷・破壊された。全壊家屋は7000戸を越え、さらに7万3000戸が損傷を受けた。こういったコミュニティへの被害に加えて、火山周辺の道路と交通機関が火砕流と火山泥流により損傷・破壊を被っている。インフラストラクチャーの修復にかかる費用は38億ペソと見積もられた。地上で被害を受けたり飛行中に火山灰を吸い込んでエンジントラブルを起こした航空機も多く、それらの損害の合計額は1億USドルを越えるという。
多くの森林再生事業が噴火で頓挫し、合計で150km2の面積が被害を受け、被害額は1億2500万ペソに上る。農業被害も極めて深刻で、800㎢(20万エーカー)の稲作地帯が破壊され、約80万頭の家畜と家禽が死んだ。農業の被害額は15億ペソと見積もられた。
医療施設の損傷と、避難所での病気の蔓延のために、噴火から数ヶ月の間、死亡率が大きく跳ね上がった。学校が破壊され、数千人の児童教育が中断した。ピナトゥボ山周辺の地域内総生産は国内総生産の約10%を占め、噴火以前は毎年5%ずつ成長していたが、1990年から1991年にかけて3%以上下落した。
ピナツトゥボ山噴火の全世界への影響
ピナトゥボ山の火口カルデラ湖(1992年)
大量の溶岩と火山灰を噴出した大噴火によって、成層圏に大量のエアロゾルと塵埃が放出された。成層圏で酸化した二酸化硫黄が作り出す硫酸エアロゾルは、噴火から一年をかけて成層圏をゆっくりと拡散していった。成層圏へのエアロゾル注入は、1883年のクラカタウの噴火以来の規模で、二酸化硫黄の量は約1700万トンと見積もられている。現代の観測機器で測定された中では最大の量である。
成層圏へのエアロゾルの大量放出の結果、地表に達する太陽光が最大で5%減少した。北半球の平均気温が0.5から0.6℃下がり、地球全体で約0.4℃下がった。同時に、エアロゾルが輻射を吸収して成層圏の温度が通常より数℃上昇した。噴火で作られた成層圏の雲は、3年間も大気中に残存した。
噴火はオゾンレベルに重大な影響を与え、オゾン層の破壊率が大幅に上がった。中緯度のオゾンレベルは最低を記録し、1992年の南半球の冬季には、南極上空のオゾンホールが過去最大の大きさになり、オゾン層破壊の最高速度を記録した。1991年のチリのハドソン山の噴火も南半球のオゾン層破壊に影響した。ピナトゥボ山とハドソン山それぞれのエアロゾル雲が圏界面に到達した際、オゾンレベルの急低下が観測された。
成層圏の塵埃によって、顕著な影響がもうひとつ見られた。月食の見掛けへの影響である。通常は半分の食であっても暗いとはいえ目に見えるが、噴火後は火山灰が太陽光を吸収するため、食の間は通常の月食に比べて暗く、見えにくかった。