NHKのラジオ深夜便で放送された映画監督山田洋次のインタビューです。
寅さんシリーズなどの映画を作った山田洋次監督は、戦後満州から引き揚げてきたのですが、父親の体調が悪く、中学生の山田少年が海岸の工場でちくわを仕入れて行商していた時の経験です。
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サメの肉で作ったアンモニア臭いようなちくわだった。それでも町のお店に行って「買ってくれませんか」というと、買ってくれたんだよね。つまり、卸して歩いてたんだよね。あの時は、たくさん余っちゃってね、困ったなーと思って。これ持って帰っても、大損になっちゃうなと思って、ふと思いついて、西宇部って駅が近くに有って、競馬場があったんだよ。当然、そこに、屋台店がたくさんあって、おでんなんか売ってるわけだ。で、そこに行けば買ってくれるんじゃないかなと。そういう情報も、僕、得てたからね。よし、そこまで行こうと思って、自転車をこいで、屋台店、おでん屋さんに入って、中年のおばさんでしたよね。
「おばさん、ちくわを、僕安くしておきますから、買ってくれませんか。」
彼女は僕を見て、まだ幼い顔をしてたんでしょう。
「あんた、中学生かい?」て聞くから、
「はい、そうです」って。
「どうして働いてんだい?」
「引揚者で、おやじの収入がないもんで、学費を稼ぐために働いています」
「ああ、そう。みんな置いてきなさい」
「みんな置いていいんですか?」
「ああ、いいよ、いいよ。で、明日から、もしあんた、売れ残ったら、いつでもおいで。おばさん引き取ってあげるよ」
そう言ってくれたんだよ。
「ありがとうございます」と言って、帰りに自転車で、僕は涙がぽろぽろ出てきたね。その時のおばさんの暖かい行為っていうのは、いまだにまざまざと覚えているんだよ。そういうもんだね、人間の記憶っていうのは。
だから僕はそこから逃れようがない。そういうところからモノ作りをしている。それが僕にとっての限界かも知れないけど、それが僕なんだ。でも、僕にとってはマドンナのようなもんだね。顔なんか覚えてないし、見る暇もなかったけど、美しいおばさんとして残ってるよね。
おばさんにとっては大したことじゃなかったのかもしれないけど、僕にとっては、生涯にわたるような、思いを僕にくれたんだ。それは、引揚者として貧しく暮らしていたから得られたもんだし、良い悪いを超えて僕自身の歴史なんだよね。
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(インタビューアー:山田さんが考える「幸せ」って何ですか?)
幸せっていうのはあいまいな言葉でね。何時の頃からか、何でも好きなものが買えるとか、贅沢な服を着るとか、贅沢な家に住むことが、イコール幸せっていう価値観になってしまっているわけなんだけど、それは、本当は疑ってかかんなければいけないんじゃないでしょうかね。
(インタビューアー:これから若い人にどう生きて行けばいいのか?それこそ満男(みつお)がいたら、山田さんは寅さんを介してどんなことを言ってあげたら良いと考えますか?)
そうねえ、やっぱり寅さんとおんなじことしか言えないね。つまり、「生きてれば、何度か、『ああ、生きててよかった』と思う瞬間があるんだ、という、それが幸福ということだよね。『ああ、今、とってもいいな』。それはとても短い瞬間かも知れないけれどもね。『ああ、うれしい』という、その喜びを何度か味わうのが、幸せっていうことじゃないかと思うんですけどね。
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以上が、NHKのラジオ深夜便のないようでしたが、黒柳徹子、渥美清、永六輔が若いころに、幸せについて話した会話があります。
黒柳徹子(くろやなぎてつこ 注①)が、TBSラジオの土曜ワイド・永六輔・その新世界のゲストで登場した時の話です。
「夢で逢いましょう」(注②)のみんな、渥美清(あつみきよし 注③)などはNHKに出ていたんで、有名になるのは早かったんですけど、お金がなくてみんな貧乏でした。でも「中華料理くらいは食べたい」というので、みんなで中華料理を食べに行ったんですけど、渥美さんが「どうしてもエビチリ食べたい。」って言うんで、エビチリは頼んだんですけど、そこにいた人の数からすると、エビの数が少ないと思ったんです。計算して「一人3個」「3個以上食べたら絶対だめだから」って言ったんです。そしたら渥美さんが、「いつか俺が働いて、数えなくてもいいように食わしてやるよ」って言ったんで、その時に永さんが「いやそんなことないよ。今が一番幸せなんだよ。年とって、ものが食べられなくなって、お腹がいっぱいになって、いっぱい余ってても食べられなくなる方が不幸せじゃないか。今のように、みんなで「3個」とか言っている今が一番幸せなんだよ。その頃みんな二十何歳ですかね。その時、永さんて「大往生」(注⑤)みたいなことを、そのときからおっしゃっていたんだな、と思います。
注① ザ・ベストテンで久米宏と司会をつとめました。黒柳徹子が書いた「窓際のトットちゃん」は800万部売れ、戦後最大のベストセラーと言われています。
注② NHKで1961年から66年まで放送されたバラエティー番組で、「上を向いた歩こう(注④)」「今日は赤ちゃん」が生まれた番組です。永六輔は放送作家であり、出演もしていました。
注③ 映画「寅さんシリーズ」の主役
注④ 「上を向いて歩こう」(うえをむいてあるこう、英題:スキヤキ、SUKIYAKI)は、坂本九の楽曲。作詞は永六輔、作曲は中村八大、プロデューサーは草野浩二。ビートルズのレコードで最もたくさん売れたのが「抱きしめたいI wanna hold your hands」で1200万枚ですが、「上を向いて歩こう」はそれを上回る1300万枚と言われています。ビルボード(Billboard)誌では、1963年6月15日付に、2019年まで日本人のみならずアジア圏歌手唯一となるシングル週間1位(3週連続第1位)を獲得しました。同誌の1963年度年間ランキングでは第10位にランクインしました。イギリスのジャズマンであるケニーボールが来日したとき、この曲のレコードを持ち帰り、イギリスでカバーしました。その時「上を向いて歩こう」という名前は長いので、ペトラクラークに相談し、日本の料理でイギリス人も知っている「スキヤキ」に決まりました。その後、この曲がアメリカで発売されることになり、坂本九が歌う原曲のまま発売したところ大ヒットしました。この曲の詞が良いと思ったベン・E・キング(スタンド・バイ・ミーのヒット曲で有名)は、日本語のまま歌ってカバーしました。
注⑤ 永六輔の書いたベストセラーで、200万部以上売れました。