13年で2.7倍
運用実績は過去最高水準にあります。投資元本は1億5百万円で、現在は2億6千万円ですが、生活費に使った分を合わせると2億8千万円になります。十数年間で、2.7倍になった計算です。しかも、最初の5年間は外国株式ETFではなく、外貨FMMで持っていたので、もし最初から現在のようなポートフォリオにしていたら4億円ほどに増えていたかもしれません。
娘息子は外国株式インデックスファンド
このような失敗経験を踏まえて、私の娘、息子には、余分なお金は銀行預金にせず、すべて外国株式インデックスファンドに投資させています。
安倍・黒田の金融緩和で円の価値が毀損
私が投資を始めたのは2010年からですが、それから13年間で大きく変わったことがあります。それは、日本の円の価値が大きく下落したことです。世界の中で自国通貨が安くなって喜んでいるのは、安倍晋三元首相と黒田東彦元日銀くらいでしょう。しかも、政治家、日本国民の多くがそれを後押ししてきた格好です。そして、この二人がいなくなった後、実情を最もよくわかっているのが、日銀OBと財務省OBです。この人たちは、自分の大事な退職金は円で持ちたがらないのです。
豊島 逸夫が2023年3月30日のユーチューブで、日銀OB、財務省OBが円を持ちたがらないことについて話していますので読んでみましょう。
最高値でも金(ゴールド)を買いたがる日銀OBたち
今日はゴールドについてお話します。
実は私、周りの知合いですとか友人たちとかから、いろいろと資産運用について相談を受けます。
大体私の年代では、ほとんどが退官、退職していて、虎の子の退職金をどうしようか?その手の質問が結構多いんですが、その中で、特に最近目立つのが、金を買いたいという人の中で、もと日銀の人、いわゆる日銀OBですね。
私いろいろと付き合いが広いので、財務省ですとか、日銀ですとか、そういったところに、気楽な付き合いの知り合いが多いですが、そういった連中の中で、OBの人たちは、自由に投資できる。つまり、日銀でも退官すれば一個人投資家になる、というところなんですが。そういった連中がやたらに金を買いたがるんですよね。
これはやはり考えさせられることで、私が「なんでそんなに金を買いたいの?」って、彼らに投げかけると、彼らはやはり何といっても、量的緩和の最前線というか、現場にいましたから、あれだけマネーがばらまかれると、1万円札見ても、紙っ切れにしか見えないと。こんな感想を彼らはよく語って、いざ、自分が退職して一個人投資家になって、さあ、この虎の子をどのように運用しようかと考えたときに、少なくとも、円では持ちたくないというんですよ。
日本銀行というのは通貨の番人と言われるように、円の価値を守る、円という通貨の価値を守ることを仕事にしていた、そういう人たちなわけですけれども、こともあろうに、そういう人たちがいざ自分の退職後の資産運用になると、自分が番人で守ってきたはずの円というものを持ちたがらない。ここが私なんとも、いろいろ考えると、やや背筋もひんやりする思いんですけど。
やはり、量的緩和でお金もばらまかれるっていうことは、1万円の価値、通貨の価値が希薄化する。よく増資で希薄化ということが言われますけど、通貨価値が希薄化するのではないかと、こういう考えで円は持ちたがらない。
で、彼らは、ドルがあり、金がありと、こういうところでお金を回す。資産運用の中で、こういうことを考えるということは、やはり怖いですよね。なんてったって、現場にいた人たちで、量的緩和の先陣を切っていた人たちなわけですから、それだけ、私なんかから見ても説得力はありますよね。
特に最近は世界的な銀行不安、金融不安という状況もあって、さらにそういう状況が加わって、金というものを選好するという、ここは我々としても考えさせられる。
それから同じような傾向が、友人も含めて財務省出身の人間がやたら多いんですが、そういった連中も、やっぱり、金を買いたがる傾向が強いですね。私の親しい元財務相の人間なんかは、「日本はいずれジンバブエになる」なんて、なんかトンデモ本みたいなことを言ってるんですけど、「自分たちは今まで日本国の家計簿を付けてきた。」そういうところで、彼らは「円というものの価値が非常に今、不安定である」という中で、彼らも退職金をもらって、その運用の中で、金というものを考える。そこで、私のところに「金を買いたいんだが、何を買ったらいいんだね、どうしたらいいんだね。」
まさに一個人投資家ですよね。元財務官僚とはいえ。大体、5年もたつと、私が見ても、そういう官僚でも、一個人投資家のマインドに、はっきり変わってきますね。
ですから、私の個人的体験として、最近痛感させられる出来事なわけです。
豊島逸夫
日本の貴金属トレーダー、経済評論家。ワールド・ゴールド・カウンシル日本代表を経て、豊島逸夫事務所代表。
経歴
東京都出身。1972年一橋大学経済学部を卒業し、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。同行を退社し、1975年からスイス銀行外国為替貴金属部ディーラー。ニューヨーク金市場フロアトレーダーを経て、東京金市場設立に参画。1985年にワールド・ゴールド・カウンシルに入り、投資事業本部アジア・オセアニア地域担当本部長や日韓地域代表を歴任。2011年豊島逸夫事務所を設立し、同代表就任。2014年には元担当編集者の治部れんげを事務所の副代表に招聘。経済評論などを行う。