家計が苦しくなった経験

昭和30年代は日本中貧しかった

私は幸いにも、社会人になってから金銭面で苦労したことはありませんでした。子供の頃は、裕福ではありませんでしたが、特に金銭面で困ったことはありませんでした。昭和30年代は、日本中貧しかった時代だったので、贅沢はできませんでしたが、生活に困るということはありませんでした。

東京で家が買えるぐらいの借金

私の父親は、昭和30年頃事業を始めましたが、失敗して借金だけが数百万円残りました。現在で言えば、数千万ぐらいの価値があり、東京で家が一軒買えるほどの金額でした。このため、私は質素、節約ということが身に付いたのかも知れません。連れ合いも同様に質素、節約の人間ですから、二人とも貯蓄をする家庭の条件が揃っていたのかも知れません。資産を増やすには、

  1. 稼ぐ
  2. 節約する
  3. 貯蓄する
  4. 資産運用する
  5. 運が良いこと

が大事だと思います。1と2は説明の必要はないと思います。

3.貯蓄する

サラリーマンなら、できるだけ給与天引きを利用すべきです。人間は、お金が使える状態にあると、ついつい使ってしまうものです。従って、給与振込口座から毎月定額を証券会社に振り替えて、そのお金で、イデコ、つみたてNISA、課税される投資信託で積み立てることです。社会人は忙しいですから、自動的に積み立てるようにしないと、銀行口座の残高が増えてしまいます。そして、何らかの理由で、それを使ってしまうかもしれません。自動振替、自動積立を利用するべきです。

4.資産運用する

現代は昭和の時代と違って、ETFやインデックス投資信託で5~6%のリターンが期待できるのですから、それらを大いに活用して、長期運用に努めれば、十分な見返りを得る可能性が高い時代です。

5.運が良いこと

人生に運はつきものです。私も連れ合いも勤めていた会社の従業員持株会で株式を買っていました。連れ合いの会社は倒産し、私の会社の株式は2倍になりました。これは運です。しかし、運を呼び込むのも普段からの勉強や注意力である面も否定できません。運だけに任せず、情報収集していきたいものです。

アメリカの例

さて、子供のころの経験をもとに学んだという実例がアメリカにも有りますので勉強したいと思います。USA TODAYの2020年7月26日付の記事です。以下は拙訳です。

経済が厳しい時代、父は仕事を辞め、1セントに泣いた。子供時代のお金の教訓

1970年代、石油価格が4倍になり、加えて、ベトナム戦争の政府支出により、インフレが加速し高金利となったため、アメリカは長くひどい不況に直面しました。スタグフレーションに見舞われたのです。

株価(我が家には株式はありませんでした)はほぼ半額になり、金利は20%、仕事はあまりありませんでした。父親は一度ならずレイオフされました。長年にわたって、コメ、豆を食べ、GMの大衆車ポンティアック・テンペストをおんぼろになるまで大事に乗りましたが、家を手放さなくてはならないかもしれないとも思っていました。母親は再び仕事に就きました。これは貴重な教訓でしたが、それ以上に貴重だったのは夕食の食卓での会話でした。子供たちが、保護されたり、大事に扱い過ぎたことはありませんでした。ありのままの真実を知らされ、全員の顔は沈鬱に曇りました。我が家が直面しているリスクを理解していました。

その後ある日、父親が仕事を辞めたので、より厳しい現実に直面しました。私たちは落ち込みました。

母親は、勇気ある行動を自ら実践しましたが、それは2個目の職に就いたことでした。私たちは安全網なしによろめきながら綱渡りをしていたので、仕事の重要性を学びました。私は12歳以下なので仕事に就けず、ベビーシッター、ペットシッター、住宅の掃除をしました。そして稼いだお金はすべて貯蓄しました。お金を使わなければ安心感や柔軟性が増し、夢のために必要なお金を得られることを学びました。

つまり、金銭面で安定しなかったために、貴重な生きる技術を身に付けたのです。

私たちの多くが厳しい時代を過ごさなければならない間、子供たちにお金に関する貴重な原則を教えるために、どのようにして恐怖心を乗り越えたら良いのでしょうか。

良い手本となる

自分の保有しているものに対して、満足と感謝を自ら示すことから始める。私の母親の両親は、20世紀初頭、大虐殺の間、アルメニアを逃げ出し、カリフォルニア州フレズノにたどり着きました。母の父親は、すぐにサンフランシスコに向けて旅立ったので、家族が残され極貧状態でした。母親は非常にわずかなもので満足することを覚え、子供たちにそれを伝えました。積み木の代わりに、ただの材木のかけらで遊びました。平らでない三角形や長方形の木片で複雑な構造物を立てることは難しかったし、何時間もせっせとやりました。兄は後にエンジニアになりました。

子供には練習させる

子供には貯蓄を実践させるのです。家族と一緒に、やる気が出るようにして貯蓄計画を立てました。台所に瓶をおきました。行儀よくし手伝いをすれば、褒美がもらえます。それに応じて貯蓄が増えます。悪いこと(例えば食べ物を投げる喧嘩)をすれば罰を受けることにもして、瓶から差し引かれることにました。瓶がいっぱいになるのを眺め、お金を数え銀行に預金することは、お金を稼ぎ貯蓄が増えるのを眺めることの重要(で、楽しい!)を確固たるものにします。

困難を隠さない

お金で困っていることについて子供たちに話をするのです。もし失業したのなら、失業によって家族のお金にどれほどの衝撃があるかを説明します。新しい仕事に就くまで、出費に関し、当面、どんな犠牲を払い、いかなる変化があるかを議論するのです。障害に乗り上げたプロジェクト・チームで働く同僚と同じように、子供たちに手助けしてほしいことを並べるのです。両親の手助けをするために何をあきらめなければいけないか。自分たちの欲しいものを買うためのお金を稼げる方法をアドバイスするのです。そうすれば家族は強くなります。