個人投資は難しい? 3

<昨日からのつづき>

個人投資は難しいと、あるアメリカのアドバイザーは言います。その理由は5つあります。Cは元の彼氏で、ある事件がきっかけで別れることになりました。今日は理由2からで、以下は拙訳です。

理由2:よくも悪しくも、家族がお金の価値を決めます

私が高校3年生の時、地元の緊急医療診療所で患者サービス係員のパートタイム登録までしたことがありました。両親のうちの一人が中毒患者で、生計を維持するためにもう一人の親が複数の仕事をしていました。

両親は私に、お金の良い習慣をいくつか身につけさせてくれましたが、それはすなわち、貯蓄することとクレジットスコアを早く形成することでした。しかし、私たち家族は複雑な関係でした。中毒患者から援助を受けることは一筋縄ではいかないので、自分でお金を稼ぐことは自由になるための切符だと考え、独立するために一所懸命に働きました(中毒患者を愛する人なら、このことが分かるでしょう)。

私と両親は衝突しましたが、両親が節約し貯蓄してくれたおかげで、(多くの同級生よりは少ない)数千ドルの学生ローンだけで大学を卒業しました。両親は、私の家賃、州内出身者用学費、自動車と保険を払ってくれました。教科書、食費、公共料金、その他生活費は自分で払いました。しかし、両親はとてもケチだったので、首尾一貫したメッセージを受け継ぎましたが、それは、お金のかかることはするな、です。

私が留学したかったらどうでしょうか?するな。ヨガのインストラクター教育を受けたかったらどうでしょうか?するな。ジャーナリズムのような創造的職業を選びたいとしたらどうでしょうか?するな。

両親はそれほどネガティブになるつもりはありません。でも生き続けなければいけないのです。二人はいつも貯蓄する方法を探していて、二人にとってそれはうまくいっていました。両親は私にASVAB軍人適性検査を受けることを勧め(私はらくらく合格しました)ましたが、その理由は陸軍に入隊すれば、南米で語学を勉強できるという私を夢を安価に実現できるからです。私のことを知っている人ならだれもが、私が軍隊に入るという考えを笑いますが、そうやって旅をすることもできると両親は言いました。そして、論理的には誤りではありません。

しかし両親が、私の望みを、看護婦、教師(あるいは核弾道設計者)などの実用的なキャリア・パスに向けようとすればするほど、私は反抗しました。そして、19歳の時に2万ドル貸付限度のクレジットカードを手にした理由は何でしょうか?えーと、車で行く長旅、ヨガのトレーニング、チリのバルパレイソにおける夏の長期語学集中研修にかかる以上の金額を利用できます。そして、それは両親ではなく、私が払います。

もし誰かが、私の目標に向けてお金を使うことを教えてくれていたとしたら、私は過ちを犯さずに済んだであろうと、数年後に気が付きました。自分でお金を管理し始めるときには、本当に自分が幸せになるために自分で物事を決めるという余地がほとんどなく、独断的な方針になることが良くあります。生き残ることと繁栄することは別のことなので、生き残ることに集中している家族は、このことをよく理解しています。給料の25%を貯蓄しなさい。必要のないものは買ってはいけない。バケーションには行くな。安売りで買ったものだけを食べなさい。服は、穴が開くまで来なさい、そして裁縫を習って穴を修繕しなさい。これはいつものことだったから、我慢するしかありませんでした。

結局は、私の周りには、必要最小限以上のことを望む、マイナス面やストレスの多い人間関係がとても多かったのですが、友人、先生、指導者、そして長年のセラピーのおかげで、自分のための希望が良いものであることを、分かることができたので幸いでした。しかし、最初からお金と価値を調整する方法を知っていることが想像できるでしょうか。南アメリカに行かせてもらえるということを知っていたら、たぶん前もって貯蓄を始めていたでしょう。ヨーヨーダイエットからわかるように、欲しいと思う食べ物を拒否すればするほど、食べ物が人生を支配し始めるのです。お金も同じです。自分の幸せを否定することはできません。否定するのではなく、本当にやりたいことに向かって頑張るのです。

理由3:人はさまざまなものを欲しがる

大学卒業の数か月前、クレジットカードの借金をどうすべきかについて、考え始めた方が良いと思いました。地元の古本屋で、個人のお金に関するアドバイザーのデイブ・ラムゼーの本をぱっと開けました。偶然にも、大学の卒業式でラムゼーが講演するということを知ったばかりでした(私たちは、テネシー大学の同窓生だったのです)。ノクスビルでは、ラムゼーの広告看板はどこにでもあり、借金なしに生活するという、彼の信奉者の証言を読んでいると、私が見逃している大きな秘密を、すべての人が知っていると確信するようになりました。

<明日に続く>