バークシャー・ハザウェイの株主への手紙1

◎今日のテーマ:アメリカ著名投資家ウォーレン・バフェット1

バフェット

ウォーレン・エドワード・バフェットWarren Edward Buffett(1930年8月30日生まれ )は、米国の投資家、資産家である。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、会長兼CEOでもあります。

オマハの賢人

バフェットは、長期投資を基本スタイルとし、長期間に渡ってバークシャー・ハサウェイに高い運用成績をもたらしています。地元ネブラスカ州オマハを中心とした生活を送っているため、敬愛の念を込めて「オマハの賢人」と呼ばれています。彼は1年1回株主に手紙を送っています。以下は2019年2月23日に送られた手紙の一部です。

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アメリカのビジネス界で私が最初に投資を始めてから、2019年3月11日で77年になります。私が11歳の時、1944年に6歳から貯め始めた114.75ドルをつぎ込みました。私が買ったのは、Cities Service の優先株でした。私は資本家になり、いい気分でした。

私が購入する前の77年の2回分を遡ってみましょう。ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任した1年前の1788年です。77年の期間の3回分に、新しい国が成し遂げたことを想像することは、誰にもできなかったでしょう。

1942年より前の77年2回分の間に、米国は4百万人(世界人口の0.5%)から世界で最も強力な国に成長しました。1942年の春、米国は危機に陥りました。米国がわずか3か月前に突入した戦争で、米国と同盟軍は甚大な損失を被ったのです。悪いニュースが毎日届きました。

憂慮すべきヘッドラインにもかかわらず、3月11日時点でアメリカ人は、戦争に勝利するだろうと信じていました。楽観論は単に勝利するだけにとどまりませんでした。生まれつきの悲観論者は別として、アメリカ人は、自分たちやその先の世代が、自分たちよりもずっと良い生活をするだろうと信じていました。

もちろん前途は平坦ではない、国民は分かっていました。現に平坦ではありませんでした。歴史の初期には、米国男性の4%が戦死した南北戦争を経験し、「自由の精神を育み、献身的に打ち込んでいる国が、長く存続することができるのであろうか」と、リンカーン大統領は率直に考えざるを得ませんでした。1930年代に、米国は大量失業の過酷な期間である大恐慌を経験しました。

それでも、私が1942年に購入を決めた時、米国は戦後の成長を予想していたのですが、それは確かな根拠に基づいた信念でした。

数字で説明しましょう。もし、私が114.75ドルを、手数料の不要なS&P500インデックスファンドに投資し、分配金をすべて再投資するとしたら、私の投資資産は2019年1月31日時点(税引き前)606,811ドルに成長したはずです(この手紙を印刷するまでに入手できる最新データ)。つまり5,288倍になります。また、当時の免税団体(例えば、年金基金、大学の寄付財団)によって100万ドルを投資したとすれば、53億ドルに成長していたでしょう。

(明日に続きます。)