ボルカ―元FRB議長の功績1

ボルカ―、中曽根

アメリカ連邦準備制度理事会の元議長ポール・ボルカ―氏が2019年12月8日に亡くなりました。92歳でした。1979年にFRB議長になり1989年までつとめました。40年前、私が大学を卒業して社会人になったころです。ちょうどその時期に日本の総理大臣に就いていた中曽根康弘が11月に亡くなりました。

日本とアメリカ

日本はバブル経済で、アメリカはインフレが激しいころでした。この二人が亡くなって、一つの時代が終わったなどと言っていられません。アメリカは1990年代に入るとIT分野で快進撃を続け、日本は低迷したまま30年が過ぎました。

日本とドイツ

常に日本と比較されていたドイツは東西ドイツが統合し、ヨーロッパの中ではリーダー的存在ですが、中国に依存する面も大きく、米国ほどの活力はありません。しかし、日本とドイツの大きな違いは、巨額の国債残高を積み増してきた国と、国債に頼らず耐えてきた国との違いです。

悲惨な国、日本

アメリカ、ドイツと比べて日本は圧倒的にひどい状況に陥っています。その理由は、1980年代に自分の実力を見誤ったこと、規制緩和が十分でなかったため競争力が無くなったこと、いま楽をしたいために国債依存を強めてきたことでしょう。

ボルカ―・ルールとインフレ退治

ボルカ―は銀行から投機的な活動を分離する「ボルカ―・ルール」を制定しました。また、インフレ退治をしました。ボルカ―の12月11日のワシントンポスト紙の記事を読みながら考えてみましょう。以下は私の拙訳です。

ポール・A・ボルカ―がFRBを辞めた後、彼のニューヨークの事務所に、一人の友人が立ち寄りました。彼は自分の息子の話をボルカ―にし始めました。その息子は、ヘッジ・ファンドで働いていて、大金を儲けてぜいたくな暮らしをしていました。ボルカ―は、「息子さんの持っていないものを私は持っている。」と言い返しました。友人は訳が分からず、それは何かと問いました。ボルカ―は一言「足る(たる)」と答えました。

(訳者注:老子の言葉に「足るを知る者は富む」とあります。その意味は、満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということです。この意味で、「enough」と言ったのだと思います。)

二人の大統領、二人の財務長官、議会の仲間の民主党議員、そしてウォールストリートに対して「足る」と言ったことで、ボルカ―は記憶にとどめられるべきです。彼は92歳で死去しました。その途中でボルカ―はUSドルを救い、行政府と議会から独立した機関でプロフェッショナリズムの思想を守ったのです。

ボルカ―は内部告発者では有りませんでした。しかしできるだけアメリカ民主主義を体現したのです。ジミー・カーター大統領がボルカ―をFRB議長に任命した1979年の夏、経済がどれほどひどく、状況がどれほど暗かったかを思い浮かべることは難しいかも知れません。住宅ローンの利子率は二けたでした。インフレはガンガン上がりました。1%――1か月当り。

金融業界が信用しなくなったのはドルだけではなく、全ての紙です。リーダーたちは民衆に、株式、債券を売って、貴金属、石油、銅、ホホバマメ(メキシコ特産の豆)ーー紙でなければどんな商品でも良い――を買え、と言ったのです。投資家達はその言葉を聞き入れたのでした。株式は14年前のレベルに急落しました。下落するドルで表示されている株式なんて、何の価値もない。

Fedは議会からドルの価値を維持することを指示されましたが、民衆はそうなる望みを絶ちました。ボルカ―が任命された直後、エコノミストで前FRB議長アーサーF・バーンズは「中央銀行は頼みの綱を失った」と、重要な講演で嘆きました。

バーンズは1970年代のほとんどの期間、Fedを導いてきました。当時彼は、窮地に陥った先進民主主義国の「インフレーションを、中央銀行が終わらせることを期待するのは幻想だ」と言っていました。彼の意図するところは、通貨の政治的な切り下げ圧力があまりに強力で抗えない、ということです。そして、バーンズにとって、それは事実でした。

リチャード・ニクソン大統領が1969年にバーンズを指名した時、おしゃべりをしようと彼を呼び、「景気後退しないようにしてくれ」と露骨に言いました。インフレ率が高ければ再選の可能性は消え去ると、ニクソンは心配していました。そして「Fedの自主性は神話だ」とバーンズを冷笑しました。バーンズはニクソンの指示に従い、金融拡大政策をとりました。ニクソンは地滑り的再選を果たしました。しかしながら、70年代半ばまでにはインフレーションがコントロールできなくなり、低成長の期間も慢性的になりました。「スタグフレーション」と言われる恐ろしい現象で、中央銀行はなす術を知りませんでした。

そこにボルカ―が登場したのです。バーンズの講演の6日後、Fedは直接利率を目標にするのではなく、銀行準備制度の準備量をターゲットにすると、ボルカ―は表明したのです。こうすることによって、必要なだけFF金利を上げ、準備金を引き下げることができるようになりました。

<明日に続く>