アメリカ連邦準備制度理事会の元議長ポール・ボルカ―氏が2019年12月8日に亡くなりました。92歳でした。
彼がどれほどインフレ退治に苦労したか、近い将来起こるだろう金融危機を心配していたかについて、ワシントンポストの記事を題材に考えてみたいと思います。
<昨日のブログに続く>
金利水準を従属変数にすることによって、ボルカ―は政治に関する小さな防御壁を手に入れたのです。彼は金利を上げるのではなく、方式に従うに過ぎないのです。しかし、彼は金融システムが過剰な貸し出し状態に陥っているので、自分のやり方では金利が急上昇すると分かってました。ボルカ―が引き継いだ時、FF金利は11%未満に過ぎなかったのですが、1981年の6月までには19%を超えました。住宅ローンやカーローンに18%支払うことを考えれば、普通のアメリカ人の嘆きが理解できるでしょう。ボルカ―の救済策は1回の厳しい景気後退ではなく、連続した2回の景気後退を乗り切ったのです。建設会社の役員は脅して抗議するために、ボルカ―にツー・バイ・フォーの木材を送りつけました。国会は怒りました。テキサス州民主党下院議員ヘンリー・ゴンザレスは、ボルカ―を弾劾すると脅しました。民主党のカーター大統領は、ボルカ―の政策のせいもあって再選を果たせませんでした。
彼の後任のロナルド・レーガンはもちろん共和党です。公にはボルカ―を評価しましたが、ひそかに間接的攻撃を加え、ボルカ―に反対票を投じるFRB理事を指名したのです。レーガンの財務長官であるドン・リーガンは、ボルカ―の政策をおおっぴらに批判しました。
ボルカ―はひるみませんでした。議会の聴聞会でもプライベート同様に飾らずに、素っ気なく対応しました。インフレーションがピークに達した後でさえ、レーガンが望んだように早く金利を引き下げることを拒みました。そして、レーガンがFedを訪問すると申し出た時にボルカ―は丁重に断りました。――Fedの独立性に疑義を生じさせるからです。
もちろんFedは完全に独立しているわけでは有りません。議会がFedを作り、結局は統制しているのです。ボルカ―の言う「独立性」とは、支持を得るために、ボルカ―が必要とみなす最初の基盤形成なのです。
ボルカ―は公務員で、ニュージャージー州ティーネックの町の公務員である父親から刺激を受けました。ボルカ―は選挙でえらばれた役職者から十分な距離を置いて、公共の利益を求めました。私の経験からすると、彼は用心深く、少し気づまりで、ぶっきらぼうでした。彼がぶっきらぼうなのは、株式市場のトレーダーなどの世論だけでなく、政治的圧力に抗おうとする防衛手段でした。
彼の政策は党派性より合理性を大事にしました。しっかりしたドルに熱心なあまり、民主党内にたくさんの敵を作ってしまいました。彼は経歴の後半において、投機的取引をひどく嫌ったため、規制についてタカ派となり、ウォール・ストリートを激しく非難しました。彼の訃報には、彼のしみったれたライフスタイル(安物の葉巻、不格好なスーツ)とともに、銀行家を軽蔑していたとも書いてありました。
真実はもう少し複雑です。彼は公務員としてつつましく生活しましたが、政府の任務の前後に銀行家でした。後年、ウォルフェンソン&Co.の頭取として裕福になりました。彼がFRB議長として優れていたのは、彼が銀行家を嫌いだったからではなく、昔かたぎで損益を大事にするタイプの銀行家だったからです。
早くも1960年にチェース・マンハッタンの銀行家として、彼はロンドンの金価格をモニターし、神経質なドル相場にやきもきしていました。10年後、彼は金融担当次官になり、ニクソン政権に対し、ドルを助けるには2年しかない、と警告しました。
つまり、ボルカ―は実務のエキスパートだったのです。今日、Fedの職員はエコノミストや学者肌の多い傾向があります。ボルカ―は官僚のプロフェッショナルが勝利することを体現したのです。しかし、トランプ大統領はそれを破壊しようと躍起になっているのです。
長期にわたる安定性と状態の改善を求めて、痛みを伴う経済治療薬の処方箋を自ら作ったのです。そのために、ボルカ―は独立性を使いました。勇気のいることでした。
彼の成し遂げたことは、本当に素晴らしいことでした。ボルカ―就任後に誕生した人は、誰も深刻なインフレを経験していません。ボルカ―の後のFRB議長は誰一人として十分な独立性を持っていなかったのですが、アラン・グリーンスパンからジェロームH・パウエルまで、彼ほどつらい仕事をしなかくて済んだのは彼のおかげなのです。
以上が今月のワシントン・ポストの記事ですが、昨年、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、自分が賢いから金持ちになれたと思う風潮や、富裕層が税金を払いたがらないことをボルカ―は嘆いています。彼は質素な生活をして、広く国民のために尽くしてきました。その姿にアメリカ国民は感動を覚えたのです。
現在は低インフレの時代で、特に日本はデフレ脱却のために長年にわたって、とんでもない量的緩和を続けています。しかし、ボルカ―氏は、いずれ近いうちにやって来るインフレに警鐘を鳴らしていたのです。