日本の家計が保有する円の現預金は、2022年12月末時点で約1110兆円でした。
この一部が外貨に移ろうとしています。その結果、円安が加速し、海外へ逃避しようとする円が外貨に転換しそうです。2024年から新NISAが始まると、それに拍車をかけるでしょう。
それに関し、二人のエコノミストの見解をロイターの2023年6月19日の記事で読みましょう。
弱い円、家計の資産防衛意識に注目 外貨シフトの胎動
唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
多くの識者の想定に反し、2023年もドル高・円安相場が続いている。この原因をどこに求めるかは識者によって見方が異なるものの、昨年来、筆者は円相場を取り巻く基礎的需給環境の変化から目をそらすべきではないという立場で議論を続けてきた。
こうした過去のコラムの中でも、需給環境を議論する場合は国際収支統計を軸に議論を展開するのが基本であった。しかし、今回は家計の金融資産構成の動きに着目してみたい。6月初頭に公表された政府の「骨太の方針」原案では「2000兆円の家計金融資産を開放」することが明記されているが、開放された結果、何が起きるのだろうか。
資産価格の見通しを考える上で、この点を考えることの意味は大きい。周知の通り、日本の家計金融資産は2000兆円にも及び、多少の構成変化でも大きなインパクトになる。2022年12月末時点で日本の家計金融資産は97%が円建て、しかも55%が現預金という保守的な構成にある。リスクテイクに動く余地は大きく、その行先が外貨だった場合の為替への影響は気がかりである。
この点、気になる報道も見られている。例えば、2023年5月1日付の日本経済新聞は「外貨資産『増やした』4割 若手投資家、日本より米国株」と題し、若年層ほど外貨建て資産の比率を増やしていることを報じていた。かねて筆者はこうした「家計の円売り」こそが、円相場ひいては日本経済が抱える最大のリスクではないかと考えてきた。
当該記事で紹介されていたコメントを見ると「外国企業の方が日本企業よりも期待リターンが高い」、「右肩上がりの成長が不可能となり、日本株を長期で保有するにはリスクがある」など、内外の成長格差への意識が透ける。これから投資をする個人にとって、国内よりも海外という志向は概ね共通する志向だろう。
こうした「国内から海外へ」という運用傾向は今に始まったものではなく過去数年間の潮流である。例えば、投資信託協会のデータを見ると、投資信託経由の株式売買動向に関し2015年以降の動きを見ると、買いが積み上がる外国株式に対して国内株式の取得意欲は弱く、2019年以降は国内から海外への代替が進んでいるかのような構図も確認できる。
同データからでは為替ヘッジの有無までは判別できないが、こうした外国株式(恐らく多くは米国株式)への投資を通じた円売りも今次円安局面に寄与しているのではないかと推測する。
<「弱い円」への諦観、日本人を動かすか>
もっとも、上述した通り、家計金融資産の半分以上は、まだ円建ての現預金に集中する。したがって外国株式への投資などが過去に比べて盛り上がっているのは事実だが、そうした「家計の円売り」が、資金循環構造を根本的に変容させるような状況には、まだない。
しかし、日本人は合理性よりも「皆がやっているからやる」という空気で意思決定しやすい。先に紹介した日経報道で指摘されていたように、多くの個人が外貨建て資産をこのまま増やしていけば、いずれそれが多数派として空気を形成する。
今やスマートフォン操作で、簡単に外貨建て資産を購入できる時代だ。「動く時は一気に動く」という恐れはある。「半世紀ぶりの安値」が続く実質実効為替相場が象徴するように、日本が海外に対して持つ購買力はこの上なく弱まっており、外貨運用を増やすこと自体に合理性はある。円の購買力が弱いからこそ海外から輸入される財の値段が押し上げられ、毎日のように値上げが報じられる状況に直結する。
片や、海外から日本へやってくる訪日外国人観光客(インバウンド)は、「弱い円」の裏返しである「強い外貨」を背景として旺盛な消費・投資意欲を発揮し続けている。日本人の多くは「こんな高いホテルに誰が泊まるのか」、「どうせインバウンド向けでしょう」─という会話をしたことがあるのではないか。
これは「弱い円」と「強い外貨」に対する諦観に基づいた会話であり「もう円で買えるものは多くない」という日本人の胸中が透ける。名目賃金が騰勢を強めてくれば良いが、大きな望みは持てない。
こうした状況が極まっていった場合、合理的な経済人であれば、資産を「弱い円」ではなく「強い外貨」で持つという意欲が強まるはずである。毎日のように「円は安い(外貨は高い)」という情報にさらされていけば、自国通貨の脆弱性に愛想を尽かす向きは増えて当然である。
事実、円の対ドル相場は、2019年12月から足元までの間に約30%弱も下落している。これまで最も安全だと考えられていた「自国通貨建ての現預金」に置いておくだけで、これほど目減りしてしまったのだから、何らかの形で対策を打とうと考えるのは自然である。
<資産運用というより資産防衛>
こうした動きは広義には「貯蓄から投資へ」という意味合いをはらむが、筆者は若干異なるように感じている。「貯蓄から投資へ」のスローガンが企図するのは、資産運用を通じて保有資産を増やしていこうという「攻め」の姿勢転換だろう。
だが、上述のような諦観に起因する「弱い円」から「強い外貨」へという動きは資産運用というより資産防衛であり、保有資産を減らないようにしようという「守り」の姿勢転換ではないか。高度経済成長以降、日本人は円高に悩んだことはあっても円安に悩んだことはなかった。だからこそ、今後、起きることも未知の展開になる可能性はある。
例えば、2022年12月末時点で日本の家計が保有する円の現預金は約1110兆円だった。この10%が「強い外貨」に移ろうとするだけでも110兆円規模の円売りが起きる。
2022年の経常黒字が約11兆円なので、年間経常黒字の10年分が家計の外貨シフトで相殺されるイメージだ。ちなみに、その経常黒字も外貨のまま再投資される項目を多く含む第1次所得収支黒字を主軸としているため、実際の円買いは乏しいと思われる。
このような日本の需給環境の下で「日本人の円売り」がたきつけられた場合、円相場は相当にまとまった幅で下落する懸念がある。裏を返せば、昨年直面した113円付近から152円付近までの円急落は「日本人の円売り」を抜きにして起きた現象であり、その意味で限定的な円安相場だったという見方もできる。いつまでも日本人の「ホームアセットバイアス」が根強い物であり続けるという保証はない。
<資産運用立国の行方>
こうした状況に加え、政府・与党が本格的に「資産運用立国」論を掲げ始めているという動きも重なる。もちろん、日本の家計金融資産の構成が国際的に見て保守的であるのは事実であり、政府方針自体にも正当性は感じる。
だが、それに付随して懸念される為替や金利といった国民生活に直結する変数への大きな影響はさほど議論されていないように思う。既に制度的な枠組みは出そろってしまっているが、例えば、個人型確定拠出年金(iⅮeCo)や少額投資非課税制度(NISA)の抜本的な拡充が図られるにしても、現状では円建て資産と外貨建て資産では受けられる恩恵に差があっても良かったのかもしれない(もちろん、将来的に制度が修正される可能性もあるだろう)。
現存している資金循環構造にも相応の理由とメリットがあることも知った上で「貯蓄から投資へ」の動きを促していくことが、適切な政策姿勢なのだと思われる。
「動かない日銀」と「止まらない主要中銀」、今年後半に円下落加速か
佐々木融 JPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長
<注目される家計の円離れの行方>
実質金利の大幅マイナスは、家計の行動にも影響を与えると考えられる。これまで家計が金融資産の半分以上を円建て預金で保有していたのは、デフレ環境が長く続いた中で、それがある程度合理的だったからである。家計が全体としては合理的な行動を取るという前提に立てば、実質的に目減りしていく円建て預金をそのままにしておくことはないだろう。
日本の家計は1100兆円の円建て現金・預金を保有している。この一部が外貨にシフトしていくことを懸念し始めた時、160兆円しかない外貨準備が小さく見える。また、いつの間にか、160兆円は日本の貿易・サービス赤字の8年分でしかなくなっている。
今年の夏から秋にやってくるかもしれない円下落の波は、昨年の動きを上回る大きなものとなってしまうリスクをはらんでいるかもしれない。